こんにちは、しゃんはいさくらです。
前回記事の続きとして、介護問題への思いを書いておきます。前回同様、愚痴その他を読みたくない方はこのままページを閉じてくださいませ。
たった3日の看護だったが・・・
義父がまだ一般病棟にいる頃は、24時間体制での看護が必要だった。
この3日間は地獄だったと言っていい。
酸素不足で脳が正常に働かず、衝動的に酸素マスクや点滴を外してしまう行動がしょっちゅう起こった。10年前に脳出血を患っているせいもあって、余計に制御不能な状態に陥ってしまっていた。
思えば10年前もすごく大変だったが、脳出血で入院していた頃は、義父の友人が代わる代わる病院に泊まってくれたり、親戚もサポートに来てくれて、数ヶ月を何とか乗り切って、義父も後遺症は残ったものの、日常生活が送れるまでに回復した。
ただ、今回は状況が全く違う。
皆それぞれが歳を取ったし、孫の面倒が必要だったりして、夜の看護を申し出てくれたり、お願いできる人が誰1人としていなかった。結果、お昼:義母、夜:旦那による看護体制を組むしかなかった。
心理的な負担に加え、肉体的な負担が大きくかかり、私たちは瞬く間に疲弊していった。私は子どもたちが少しでも普通に過ごせるように家の中を保つのに必死だった。
手の拘束
ベッドに手を括りつけることは、どれほど人の尊厳に関わることなのだろうか。
義母も旦那も頑なに拒否をしていたのは、勝手に酸素マスクや点滴を取らせないようにするために、ベッドに義父の手を縛り付けることだった。
私は命に関わることだから縛ることも止むなし、それよりも義母と旦那の負担を少しでも軽くしたいとの思いが強かったのだが、彼らは手を縛るなら自分が寝ずの付き添いをすると言って、ICUに入るまでは縛ることを頑として許さなかった。
たった3日の24時間看護で2人ともあんなに疲弊してたのに、どうしてそこまで拒否するのかが私には理解できなかった。私は所詮嫁だからか?私が冷たい人間だからなのか?
後にICUに入った後に義母と話していて知ったのだが、義父は脳出血の入院の時にも手を縛られていて、それがイヤでイヤで仕方なかったんだと義母にボヤいたことがあったらしい。あの頃も頭が朦朧としてたはずなのに、手の自由を奪われたいたことをはっきりと覚えていたことがショックで、だからできるだけ手を縛りたくなかったんだと言っていた。
命を守ることと尊厳。看護や介護する人の負担。
何が正しいかなんて誰にも判らない。
介護がこんなに大変なものだとは・・・
我が家は足元、たった3日間の病院での24時間看護だったが、確かに地獄を見た。これがもし、病後の義父を自宅で24時間介護するとなったら、一体どうなるのだろう?と考えてしまった。
義父は既に気管切開までしている。もし肺が回復して退院できたとしても、今後は大変なリハビリと介護が待っていることは明白である。しかも脳出血で既に脳の一部が正常に働かない人である。認知症っぽい症状が進むことだって否定できない。
あの3日間のように、交代して夜間介護をしなきゃいけなくなる覚悟も必要だ。それでいて、私たち夫婦は通常どおり、仕事にも行かなきゃいけない。
子どもたちが赤ちゃんの頃に、夜泣きが連続しても毎日出勤しなきゃいけなくて辛かった時期があったが、自分の子どもだから、この子たちは成長していくんだという前向きな期待があったから持ち堪えられたんだと思える。しかも当時はまだ若かったし、体力も十分だった。
それが大人の介護となるのだから、使うパワーが全然違う。相手は大の男、力で抵抗されたら、どう立ち向かえばいいのだろうか。
正直に書いてしまおう。
私は介護なんてしたくない。
実父、実母ならまだしも、相手は義父だ。
私がパワーやお金を使う場所は、自分であり、子どもたちである。義父に介護のパワーを注げるほど、私には余裕がない!!
義母の覚悟
ICUに入った後も、一向に回復の兆しが見えない毎日を送っているが、昨日、ふとした会話で、義母が既に心の準備をしていることを知った。
我が家は1つの戸籍に多くの家族が登録されている「一戸多人口」なのだが、上海では一戸多人口はガス料金や水道代などの大家族割引を申請できることになっている。割引の対象となるのは、1戸籍に5人以上登録している場合。我が家の戸籍には旦那、子ども2人、義両親の5名が登録されていて、ギリギリ申請条件をクリアしている(日本人である私はカウント対象外)。
それが、「次回の申請はもう人数不足で申請できなくなるね」なんて義母が言うもんだから、こちらも返事に困ってしまった。
私は最初流して深く聞かない素振りを見せていたのだが、義母が2回も同じことを言うもんだから、思わず義母の顔を見たら目がバッチリ合ってしまい、でも私も「そんなこと言わないで」とも言えず。。。
近日、もしかしたら厳しい判断が迫られるのかも知れない。
介護はきれい事では済まされない
命を救うだの、人の尊厳だの、言うことも書くことも簡単だ。
看護だって、介護だって、言うのも書くのも簡単だ。今こうしてブログ記事に書いていられるんだから。
でも、実際に四六時中心配をしながら、自分の日常生活も送りながら介護をすることは、本当に簡単なことではない。産前産後や育児休暇ならともかく、介護は終わりが全く見えないため、期限を設けて休暇を取ることが難しい。
旦那の元同僚が私たちを見舞ってこう言った。
気管切開した人の生活品質なんてあったもんじゃない。食事らしい食事なんてできないし、行きたいところに連れて行ってあげるのだって大変。意思の疎通だって難しい。仕事を抱えて自分たちが自宅介護するなんてとてもじゃないけど無理。仕方なく護理院(特別養護ホーム)に入れているけど、親戚からはそんなところに入れるのは可哀想と言われる。じゃあ、あなたたちが助けてくれるのかと言ったらそうじゃない。結局自分たちで解決するしかないんだよ――
これを聞いて、旦那はどう思ったんだろう?
私にできること。
それは義母や旦那の選択を心から尊重し、サポートすることだ。