上海には抗日戦争に関する記念館や公園がいくつか存在します。
日中間に「戦争」という歴史がある以上避けて通れない話題ですし、私は特に中国人に嫁いだ日本人として理解しておくべき事がたくさんあるでしょう。
我が家ではこれまで自宅から市内中心部まで歩いて旅する「徒歩游」を2度ほど開催しているのですが、先日、自宅から外灘までを歩く途中で、「四行倉庫」という砲弾痕の残る珍しい建物を見つけ、展示も興味深かったので、今日はこちらを紹介したいと思います。
四行倉庫への行き方
交通
・地下鉄: 8、12号線 曲阜路駅下車 2or3番出口から蘇州河方向に歩いて3分
・タクシー: 光复路×西藏北路または光复路×晋元路と伝える。
配車アプリを使う場合は「四行仓库」と入力すれば場所の候補が出てきます。
営業時間と入場料
・営業時間: 朝9:00~夕方16:30まで(入場は16:00まで)、月曜は休館です。国定休暇に応じて休館日が変化することがあります。
・入場料: 無料
四行倉庫とは?
1931年に建てられた歴史ある倉庫。
当時の上海にあった四大銀行(金城、中南、大陸、塩業)が共同出資して建設されたことから「四行倉庫」と名付けられました。
銀行の「行」に由来する名前なので中国語では“四行仓库(sìhángcāngkù/スー4ハン2ツァン1クー4)”と読みます。
倉庫そのものは6階建てで、そのうち1階と2階で常設展示を観ることができます。
壮絶な戦いを思わせる弾丸の跡
晋元路沿いの四行倉庫の壁面には、当時の壮絶な抗戦を思わせる多数の弾丸痕が残っています。
なおこの晋元路という通りの名前は、この抗戦で指揮を執った謝晋元という軍人の名前にちなんでいます。

こちら、鉄筋コンクリートで作られた建物で、当時、そのエリアでは最大の広さと高さを誇っていました。
南側には蘇州河が流れ、蘇州河を超えた先には公共租界がありました。

日本が中国への侵攻を進め、ここで戦いが起こった時には、既に日本軍が四行倉庫周辺を占領していたことから、絶好の抗戦場所となったようです。
1937年10月26日深夜から数日に及ぶ戦いが始まりました。その時に砲弾を浴びながらも持ちこたえたのがこの建物です。
展示品の数々
「血鏖淞沪」、「堅守四行」、「孤軍抗争」、「不朽豊碑」の4つのテーマに沿って、当時の新聞の切り抜き、写真、軍人たちの使用品などが展示されています。
参観した時は記事にすることを全く考えていなくてほとんど写真に残していないのですが(なんとなく気持ち的に写真をパシャパシャ撮る気になれない場所でもあり…)、展示品はもちろん、戦いの様子や全体の様子をかたどったレプリカも結構見ごたえがありました。

記念館自体は2015年にできたばかりの比較的新しい場所なので、まだきれいに保たれています。
日頃の参観者も多くなさそうでしたし、落ち着いて展示を観ることができました。
さくら‘s感想
中国の記念館や博物館は紹介文が中国語で表記されているため、中国語が解らないとその面白さが半減してしまうかも知れませんが、中国人目線で作られた博物館には我々とは違う視点がたくさんあり、いろんな発見があって興味深く参観できます。
日本人目線で見ると、そうじゃないだろ!とツッコミたくなるような記述があるのも事実ですが(例えば400名あまりの兵力で抗戦したのに、中国語ではどうして八百壮士と言われるのか不思議)、歴史認識には違いが付き物。
どの歴史が正しいかではなく、この国では歴史についてどう教えられ、どういう認識でいるのかを知るだけでも異文化理解が進む一歩になろうかと思います。
上海人である我が旦那はこの記念館を出てこう言いました。
「上海にはこんな立派な歴史教育できる場所があるのに学校で見学することもしない。中国の学校は本当に大切なことは教えず、国数英ばっかり。」
日本人の私から言えば、極度に歪んだ愛国教育は勘弁して欲しいけど、旦那の感想はそのとおりだなと思いました。
ただ、当時上海で抗戦してたのって国民党軍なんですよね。
第二次世界大戦終了後、国民党と共産党の内戦があったことを思うと、現共産党としては当時の戦いの扱い的に難しいところがあるんでしょうね。
以上、四行倉庫訪問記でした。
地下鉄からも近くて行きやすい場所にあるので、興味ある方は足を運んでみてはいかがでしょうか?