コロナ陽性から回復するまで

さくらの独り言

 

こんにちは、しゃんはいさくらです。

 

中国政府による突然の政策変更に伴い、我が家にもコロナウイルスが舞い込んで大変な年末を過ごしてました。

今日は我が家のコロナあれこれの記録+αです。

 

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上海発布で見るコロナ政策時系列おさらい

12月5日夕方時点ではまだコロナ確定者数の発表あり。高リスクだの低リスクだの言ってた頃。

同日夕方に高齢者施設、医療機関、学校、密封空間、レストランなどの特殊要求がある場所以外での陰性証明提示不要との発表あり。

12月6日 江沢民追悼式

江沢民の逝去は意図的にコントロールされていたとの噂が絶えない

12月7日 国務院新型コロナウイルス対応組によるいわゆる十か条が発表される。

同日、上海市からも政策措置調整の旨の通知が出る。

12月9日 密閉空間、レストランでの陰性証明が不要に。

12月11日 コロナ感染者数の報告形態変更。「毎日報告」という言い方に変わり、発生地の詳細情報割愛。

12月12日 高齢者施設、医療機関、学校を除いて場所コード不要に。

12月13日 行程コードの運用停止。

既にお役御免となった行程コード

12月15日 この日を最後に「毎日報告」が無くなる。

12月17日 12月19日から中3、高3を除く全ての学年で公立校は全てオンライン授業に。

12月20日 即日より医療機関での陰性証明が不要に。

12月23日 陽性者の隔離解除基準が発表される。

12月26日 国務院が新型コロナウイルスの分別を「乙類乙管」に。

12月27日 国務院が1月8日からの入境ルール変更を発表

12月30日 上海市のPCR無料検査は1月7日までと発表。

「大白」という1つの職業が無くなろうとしている

 

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我が家の状況

12月某日 義母骨折で入院、手術

12月16日 旦那同僚がコロナ陽性発覚

12月17日 義母退院

12月18日 旦那発熱、PCR陰性、抗原陰性。

12月19日 旦那抗原陽性 私、会社ルールでテレワーク開始

12月20日 義母発熱、抗原陽性

12月22日 私発熱、抗原陽性、そしてよりによって生理が重なるという不運(←地味に辛かった)

うっすら陽性ラインが見える

12月23日 上の子、下の子発熱、抗原陰性

12月26日 旦那まだ陽性、でも出社

12月30日 私まだ陽性

1月3日 私、抗原陰性を確認し出社

 

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我が家の主な症状

体感として、ウイルスに感染した4~5日後くらいから発熱し出始め、発熱した翌日に抗原検査で陽性ラインが出てきてた感じ(旦那も義母も私も同じ経過)。

義母は比較的くっきりとした2本線が出てきたけど、旦那も私も陽性反応はすごく薄かった。

 

但し陽性ラインの濃さと症状の重さには相関性なし。

今回一番重症だったのはたぶん旦那で、発熱日数は彼が一番長い(5日)。

義母は3日目には平熱に戻り、私は高熱は1晩のみ、あとは微熱が2日続いた。

 

子どもたちは熱は高かったけど(40度以上)、治りが早かった印象。

上の子も下の子も抗原検査で陽性反応が出ず、コロナだったのか未だ不明。

 

5人に共通してたのは喉の痛み。

食事が思うように飲み込めず、お粥をよく作った。

白がゆだけだと飽きるので菜粥も作った

 

大人3人は咳が長引き、私は今でも鼻水、咳がある。

特に私は後鼻漏がひどく、鼻の奥が常に気持ち悪く、時折咳に痰が混じる。

 

熱が下がっても常に疲れやすく、すぐに電池切れする。

療養中にあまりにも家が汚いのが見過ごせず、熱が下がった時に雑巾がけしたら、その日の夜にまた微熱が出てしまった。

 

家族全員が体調不良になり、そんな中でも家事をしなければならないのはママの勤めか。

陽性だからといって家事に休みなし

私も一応病人だったのだけど、義母の介護、家事、病人の世話をしなきゃいけないのは結構しんどかった。

 

ネットスーパーが使えなかった日が何日かあって、なんだかんだで毎日買い物に出てた気がする。

店員さんたちも元気なさそうな人がいて、大変だよなと思いつつお店を開けてくれてたことに感謝。

 

今更ながら思う、あの2ヶ月は本当にムダだった!

突然の政策変更で一気に中国式withコロナが始まりました。

 

足元の感染者数がどれくらいだとか、感染率が何パーセントだとか多少気にはなるものの、しばらくは感染者数が高止まりのまま推移しそうな気がします。

今の中国にはウイルスの型(中国語では「毒株」)が100種類以上あるという話で、一度感染してもまた別の毒株に感染する可能性があり、これからいくつかの波を乗り越えてやっとコロナ前に戻れるのかなと予想しています。

 

となると、もし去年の4月5月に、上海がロックダウンではなくwithに切り替えができていたら、私たちは大きな損失を免れ、より早い回復が期待できたかも知れないって思っちゃいます。

少なくとも、もっと活気ある元旦や春節を迎えられたはず。

 

昨年前半には既にウイルスの毒性は下がっていたと言われているし、上海にはwithにできる土壌があったと思うんですが、おバカな政府のおかげで2ヶ月もムダなことをさせられてしまいました。

 

資源の浪費のみならず、あの2ヶ月がなかったら事業を畳まずに済んだ人がどれだけいたかと思うと、悔しいやら悲しいやら。

無理やりいい方に考えれば、子どもたちと濃密な時間を過ごせた貴重な体験だったと言えなくもないですが、やっぱりあの2ヶ月は異常な時間だったと思います。

 

昨日たまたま箱根の中継を見てて、沿道のお客さんを見て、アナウンサーや解説者たちが賑わいが戻ってきて嬉しいと言っているのを聞いて、日本はもう普通に戻ってるんだなぁと思い。

ランニング系アカウントで箱根の生中継やってた

 

私たちは来年の中国に期待していいのかな?

どうなんだろ?

 

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