ロックダウンを振り返って

さくらの独り言

 

皆さん、こんにちは!

 

上海のロックダウンが明けてまもなく1週間が経とうとしています。

 

知人情報では、今朝の高架道路は従来並みに渋滞していたとのことで、回復に向けて更に大きく動き出している感じを受けますね。

 

私が勤める会社では、工場に残って(残らされて)2ヵ月以上も現場を死守している人が大勢いて、その人たちへの配慮なのか、端午節も会議があったり、打合せがあったりしてプライベートの時間と仕事の時間がごっちゃになってましたが、この生活にもまもなく終止符が打たれます。

 

今日は通常勤務で忙しくなる前に「ロックダウンを振り返って」と題して、この2か月の状況をまとめておこうと思います。

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3月下旬 食料争奪戦が始まる

ロックダウン前の3月中旬頃、子どもの学校で濃厚接触者が出たことで、急に自宅隔離をすることになりました。

当時は確か3日くらいで終わったと思うのですが、そのころから食料の備蓄を意識するようになり、ネットや近所のスーパーで気になるものをちょこちょこ買いだめしていました。

 

その後、上海のコロナ情勢が徐々に悪化、3月27日に翌日から東と西を分けての半々ロックダウンをするとの通知があり(市は最後まで「ロックダウン」とは認めませんでしたが)、コロナ封じ込めのための強硬策が講じられることになりました。

 

3月28日 浦東ロックダウンスタート

3月28日、浦東エリアでは公共交通機関を含むほとんどの動きが止められました。

当然ながら物流が一気に滞り、生活困窮者が多数出ることに。

 

浦東の状況を知れば知るほど、浦西側の人間はパニックに。

市場やスーパーでの食料争奪戦が激しくなり、殴り合いのケンカが勃発した市場が出るなど、緊張した状態になりました。

 

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4月1日 浦西ロックダウンスタート

4月1日、浦西側もロックダウンがスタートします。

本来4月1日以降は動きが再開するはずだった浦東は、残念ながら引き続きロックダウン継続です。

 

子どもたちは3月中旬から既にオンライン授業が始まっていて、私は3月の最終週から自宅勤務をするようになっていたので、4月1日前後の生活はそれほど変わらず。

 

ただ、食料の在庫のことが常に頭の片隅にあって、3月31日までは何とか買い物ができたけど、4月1日以降は食料の補充がとても難しくなりました。

以降、4月中旬まで、私の精神状態は食料問題によって大きく狂わさせられるのでした。。。

 

そして明けないロックダウン

浦西は当初、4月5日がロックダウン明けと言われていてほんのり淡い期待を抱いていたのですが、当然の如くとでも言いましょうか、浦西もロックダウンが継続されることになりました。

4月5日あたりがピークだったと思いますが、この頃は我が家の食料在庫がかなりしんどかった時期で、私の精神が一番病んでいた時期です。

 

病んでた理由は簡単。

ネットスーパーの争奪戦に負け続けてたこと、配給が全くなかったこと、近所でグループ購入詐欺に遭った人がいてグループ購入になかなか手を出せずにいたので、4月に入ってからの数日間、ほとんど食糧の補充ができなかったからです。

仕事のことよりもどのようにして食料を確保するかばかり考えていました。

 

当時の記事はこちら ↓

 

一方で一部の条件の良いエリアが配給で潤っているのをSNSで見かけ、更に私のココロが病んでいきます。。。

 

他と比べても仕方ないとは思うものの、自分が見落としている情報があるかも知れないと思うとどうしてもスマホを見てしまう。

 

食糧調達も情報調達も全てスマホに頼るしかない中、自分に有用な情報と悪影響を及ぼす情報が同時に目に入ってきて精神的にかなりイライラしていました。

  

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4月中旬~下旬 食料調達が順調になってきた頃

配給はないわ、団購詐欺騒ぎはあるわ、ネットスーパーは惨敗するわで散々だった我が家の食料事情も、中旬頃には信頼のおける団長さんが見つかり、会社からも配給があったりして、調達がスムーズに進むようになりました。

  

得られる食品の種類は限られるものの、一方で普段あまり買わない食品にも出会ったりして、食卓が封鎖前の頃のように華やかになってきました。

 

この頃の生活パターンは、朝5時50分に起きて美団スーパーの食料争奪戦、勝てば二度寝、負ければそのままスマホを見ながら時間を潰し、当時7時からだったフーマの争奪戦に参戦(その後フーマの営業形態が変わり不参加に)。

 

7時半にベッドから出て着替えを終え、子どもたちを起こす、食事の準備をする、片付けをする、掃除しながら聞くだけでいい朝ミーティングに参加する、途中でPCRで外に出る、お昼ご飯の準備、食事、片付けetc…の繰り返し。

 

一日が過ぎるのがとても早くて、気づけばあっという間に2時、3時という毎日でした。

 

正直、細かいことは既に覚えてませんが、スマホの記録を見るに、4月下旬から京東と天猫が動き出してて、小麦粉やら油やらティッシュやらを調達してます。

乾物や生鮮品なども、上海に送ってもらえるかなどを確認して注文してました。

 

とにかく仕事してる時間は半分もなくって、1日のほとんどが家事と食料調達で終わってた感じです。

 

今思うのは、4月上旬に体験した「食料危機」に対するトラウマは結構大きかったんだなぁということ。

 

1日に1つは必ず何かをポチり、毎日何かが届かないと落ち着かないようになってしまいました。

それは今でも少し続いていて、スマホを手にしては快団団、京東、タオバオ、フーマ、美団をチェックしてしまいます。。。

  

5月頭 労働節休暇返上で毎日打合せ

ロックダウンの終わりが全く見えない中、労働節休暇に入りました。

とは言え、子どもたちのオンライン授業が無くなっただけで、旦那も私もちょこちょこ仕事してました。

 

旦那は日系企業なので、日本が休みじゃないとメールがバンバン届く。

私は工場勤務で、一部職員が工場に寝泊まりして対応しているのを受け、24/7で働き詰めの彼らの歩調に合わせた勤務スタイルになっていたからです。

 

確か夜の11時に緊急会議を招集されたこともあったような。。。

 

それでも工場に缶詰になっている人からしたら、自宅勤務組は恵まれてました。

工場組はシャワーすら浴びれずに、部屋の人数をコントロールするために、工場内にテントを設営してそこで寝泊まりしてたみたいです。

5月に入ってさすがに体調不良者が出て、宿泊条件の向上が図られたようですが。。。

 

バイク便のお兄さんたちも同じでしたね。

4月は路上にテントを張って寝ている騎手の姿がSNSに出てましたもんね。

 

一部の人が過酷な条件で働いてくれてたからこそ、ロックダウンでも最低限の生活が送れてたワケで、つまらないゼロコロナ政策のために、一体どれだけの矛盾が生まれ、多くの人が翻弄されていたかと思うと本当に怒りのやり場がありませんね。

 

5月上中旬 ダラダラ生活が軌道に乗り心が死んで来た頃

この頃はオフィシャルから出る情報も、SNSで流布される情報も、ほとんど信じなくなっていたような気がします。

友人知人から状況を録画したもの、録音したものが送られて来ても、私はそれを聞いたり読んだりするのを意識的に控えるようになりました。

読んだところで、自分には何もメリットがないなーと思ったからです。

しかも動画って、本当に人の時間を奪うんですよね。 

あれもこれも見てたらあっという間に寝る時間になっちゃいます。

 

ひとり暮らしならともかく、私くらいの年齢の女性は家事を担ってる率が高いはずで、家族全員がおうちにいると朝から晩まで掃除洗濯炊事ばかりで(配給品の処置とか結構めんどくさい)、ロックダウン前よりも自分の時間が取れなかったような気が。

 

仕事に行きたいとは思わないけど、毎日家事ばかりというのもココロがすさみます。

食料危機の時のように精神的に参ることはないにしても、欲のない、欲が満たされないルーティーンワークに明け暮れる毎日も精神的にはあまり良くないですね。

  

5月下旬 解放の足音が聞こえ始める

5月末、急に解放の足音が聞こえてきたような気がします。

 

労働節明けくらいでしたかね、コロナ感染者の発生状況に応じて、防範区、管控区、封控区に分けてそれぞれ異なる管理体制が敷かれたのは。

我が家は最後まで封控区のままでしたのでよく判りませんが、Twitterなどを見る限り、防範区だった一部エリアでは通行証や外出証が配布されて、ひと時の自由を味わえたようです。

 

私が住む団地では3,000世帯あるうちの1世帯陽性が出たために、2回もふりだしに戻されました。

団地内を物理的に隔離すること(フェンスで棟の入口を塞ぐなど)をしなかったので、リスクの低い人もずーっと厳しい管理の巻き添えを食わされてました。

 

SNSで見かけるような極端な措置は取らない一方で、最後まで受け身でとにかく平穏に時間が過ぎることだけを願っていた(ように見えた)我が団地の居委。

 

彼らも被害者だから責める気にはならないけど、もう少し自主的に動いても良かったんじゃ?

 

団地民からの多数の要望を受け、陽性が出ていない棟に対して外出証を配布しそうな気配はあったのですが、たぶん最後は力尽きて何もやる気が起きなかったんでしょう、結局6月1日の零時まで外に出ることは許されませんでした。

 

今の気持ち

解放されて1週間、今は通常出勤の足音が近づくにつれ、

「あ゛ー、仕事行ぎだぐねぇ~!」

の気持ちが大半を占めています。

 

そうなんです。

私、自宅勤務が心地良すぎて、これから毎日出勤しなきゃいけなくなるのが億劫で仕方ないんです。

 

出退勤の往復で使う2時間という時間に、一体どれだけのことができるのか。 

少なくとも掃除、洗濯が片付き、子どもたちの食事の準備もできちゃう。

 

デメリットが1つもない!!

 

私の仕事はどちらかというと現場型で、在宅勤務だと仕事に支障を来たす(というか根本的にできない)んだけど、ここだけの話、ここ2か月は仕事半分でお給料が満額頂けている状態なので(もちろん心からありがたく思ってます)、ロックダウンの不満、不平、不便はあるものの、非常事態の強制的な在宅勤務の方がありがたいんです。(上司が見たら絶対に怒るww)

 

家から通いやすい職場を探そうかなぁと考えちゃうくらい、出退勤のプレッシャーがないのが心地よくて仕方がない。。。

 

家事はキライだし、ロックダウンも困るけど、子どもと一緒に過ごせる時間が持てたのは良かったことかもね。

子どもがもっと小さい頃だったら、子どもは喜んだだろうし、言うことなかったなぁ。。。

  

巷でくすぶる再封鎖説

ところで、上海はロックダウンは明けましたが、社会面での感染ゼロには至っていません。

今日も少数ながらも3名の感染者とその居住エリアが発表され、該当エリアが中リスクに指定されました。

 

これくらいの感染者数であれば即刻隔離対応でき、大規模な感染には至らないとは思うものの、今後の先行きは未だ不透明です。

 

先般、再封鎖説がネットを賑わせてて、更にオフィシャルがデマだと言ったことが不安に拍車をかけてますが、どこかで管理不行き届きが起こり、再び爆発的な感染が起こるとなれば、再封鎖の可能性は無きにしも非ずだと思います。

実際、今回のロックダウンに至った経緯は人為的な管理ミスがあったと思うので。

 

既にロックダウンを経験したので、団地が封鎖されてもそれなりの対応はできるとは思うのですが、常にリスクと隣り合わせの生活が続くのがしんどいですね。

 

ちなみに、私の友人知人の一部は既に上海を出る決断をしました。

行く先がある人はそれも1つの選択ですよね。

羨ましいです。

 

我が家も、旦那が田舎のおばあちゃんのところに避難しようかと言って来たのですが、私は正直、すぐに首を縦に振ることができませんでした。 

外国人があの田舎で生活するには、ちょっとね。。。

 

だったら私は今の自宅でロックダウンされてた方がマシなので。

 

家族がいて、ロックダウン生活もそれなりに楽しく、大きなケンカもせずにやってこれましたが、家族がいるからこそ自由に動けないのもまた事実。

 

本音は「日本に帰りたい!」です。

 

記録になってるのかなってないのか判りませんが、以上、ロックダウン生活を振り返ってみました。

 

上海で同じように過ごされた皆さん、どうもお疲れ様でした。

 

 

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