こんにちは、しゃんはいさくらです。
先日、通訳の仕事である大きな会議に出席してきました。
普段は社内の人向けに通訳することがほとんどなのですが、久々に社外の取引先様のサポートとして通訳をすることになり、改めて話者と通訳間のコミュニケーションの重要性を認識しました。
今日は「語学力がある≠何でも訳せる」ではないことをご理解頂きたく、記事としてまとめることにしました。
どうぞお付き合い下さいませ。
通訳という職業への誤解
通訳というのは語学力さえあれば誰でもできる仕事なのでしょうか?
私の答えは「NO」です。
但し、実状を見てみると、本来営業担当で日本語をきちんと勉強したこともないウチの旦那ですら会社で通訳をやることがあると言っているので、片手間で対応できると思われがちなのではないかと思います。
では、どうして多少の語学力で通訳ができるのか?
それは、その業界に通じ、社内事情を理解し、背景を知っているからに他なりません。
これはものすごく大事な要素だということをまず理解して下さい。
取引先様の心づかい
冒頭に書いた、急遽サポートをすることになったこの取引先様(以下、Aさん)は、中国の駐在経験が長い方だとお見受けしました。
なぜかというと、私とAさんはお互いに見ず知らずの間柄だったのに、Aさんの話し方や伝えたい内容が明確だったので、比較的スムーズに訳すことができたからです。私ともアイコンタクトをしてくれてとても通訳がしやすかったです。
中国人にモノゴトを伝える時に、どのように話すのが良いのかを熟知されていたように思いました。
きっと通訳を介しての会話の経験が豊富な方だったのでしょう。
でも一方で、このようにも思いました。
もし事前にAさんと打ち合わせができたら、もっと的確な訳語が提供できたのではないか。
もし私がAさんのお名前や会社の概要を知っていたら、より正確に伝えることができたのではないかと思ったのです。
通訳にとって事前情報は極めて大事
当たり前のことのようで、実はあまり重視されていないと感じるのが通訳への事前情報伝達です。
これは私だけでなく多くの先輩や仲間が感じていることですが、通訳は守秘義務やその他モロモロを考慮してこういった心の声をあまり上げないため、クライアントさんにその重要性が伝わっていないのです。
当たり障りのない例で説明するとこんな感じです。
例えば、ある日本人男性の苗字が「カトウさん」だったとします。すると、通訳はとっさに「加藤さん」が浮かぶので、紹介するときに「加藤先生(jiāténg xiānshēng)」と訳すと思います。
でも日本人の「カトウさん」には「加東さん」や「河東さん」もいるんですよね。
こういう場合、事前にその方の情報を頂かないと「加东先生(jiādōng)」や「河东先生(hédōng)」とは訳せないです。
また、「カワイさん」の場合は、もっとバリエーションがありますね。
「カワイさん」はいろんな読み方があることが比較的知られている名前なので、知らない方だったらその場でどの字のカワイさんですかと聞き返しますが、川合、河合、川井、河井、川相、川居・・・思いついただけでこれだけあります。
なんて通訳泣かせな。。。
たかが名前、されど名前。
もし本当は当事者が川相さん(chuānxiāng/xiàng)なのに河井(héjǐng)さんと訳したら、中国語では全く別の読み方になってしまうので、とんだ人違いになってしまいます。。
人名、社名などの固有名詞や業界専門用語など、もし日雇いで通訳を手配する場合はより一層、事前の情報提供に注意を払って頂きたいです。
情報開示と守秘義務
通訳がどれだけ事前情報が大事で、資料を下さいとお願いしてもなかなか頂けないのがスライド用PPTや演説の原稿です。
クライアントさんが情報漏えいを恐れてわざと渡さないケースもあれば、資料がギリギリにならないと完成しないため、直前になって大量の資料が来たりするケースもあります。
私からお願いしたいのは、通訳とは必ず守秘義務に関する約束ごとを確認し、必要に応じて押印やサインをさせた上で、伝えるべき情報の事前開示をして欲しいということです。
なお、資料は事前であればあるほどこちらは準備に時間が割けるので、不完全な資料でも構いません。時間優先で提供して下さい。
キーワードは「相互理解」
これはコミュニケーションの基本ですね。
通訳は人と人の間に立って話を伝達するコミュニケーションの橋渡し的役割を持つため、二重の理解が必要となります。
通訳として、携わる内容の理解度が高ければもちろん訳出し率も大幅に向上できるのですが、それと共に大事なのが「相互理解」です。
この場合の「相互理解」は、通訳を使う側(話者)と使われる側(本人)を指します。この両者がどれだけお互いを知っているかによって、得られる効果が変わってくるのです。
人間と機械、人間とコンピューターを例に取ると解りやすいと思います。
使う側がその機械の特性や機能を知らなければ有効に使うことができないし、コンピューターを使えない人がコンピューターの前で何かを操作しても得たい結果は得られません。逆に誤操作で悪い結果をもたらすことすらあるかも知れません。
それは人間同士でも同じ。
相手のことをどれだけ理解しているかによってアウトプットのパフォーマンスが異なるのは何が相手でも変わらないのではないでしょうか?
であれば、是非とも通訳の能力はもちろん人となりを理解して、うまく通訳を使ってもらえると、使われる側としてもとても嬉しく思います。
今後は人間とAIが共存をして仕事をしていく時代になります。
人間がAIを熟知しないまま運用していけば、想像ができない結果がもたらされるリスクがあります。
私は通訳という肩書きで仕事をするようになって10年ほど経っていますが、後からこうすれば良かった、ああすれば良かったと思うことの連続でした。
通訳の立場で私がこう感じるのですから、きっと話者の方はもっとそう感じているのではないかと思います。
それを解消するためにも、お互いにもっと歩み寄りが必要なのではないでしょうか?
通訳は机を叩いてもいいのか
先日、ある会社の重役の方とお話をする機会があり、こんなエピソードを教えてくれました。
その方は会社の取締役を務める傍ら、〇〇連盟の理事も務めていて、ある案件で外国側と交渉することになったと。
交渉を何度か繰り返したものの、なかなか折り合いがつかず、最後の方にはケンカのような口調になり、相当な剣幕で相手に怒りをぶつけた時に、机を叩いたそうなんです。
その場で対応した通訳さんは、声は確かに強い口調で言ってくれた気がするが、こちらの真意が本当に相手に伝わったかどうかは判らない。私はあの時、通訳にも机を叩いて怒りを伝えて欲しかったんだよ、とおっしゃったのです。
このエピソードは私にとってはとても衝撃的でした。
私の中では通訳たるもの中立であるべしみたいな気持ちがあったのですが、それに固執してはいけないのだなぁと。
私は社内通訳なので、普段の日中間の会話は私一人で取り持つことが多いのですが、国を跨ぐ交渉などだと、確かに日本側、外国側でそれぞれ1人ずつ通訳を立てることがほとんどなので、完全に話者側に立って霊が乗り移ったかのように振舞わなければダメなのかも知れません。
でもこの件だって、事前の綿密な打ち合わせがあればまた違った結果になった可能性もあります。
「一緒に机を叩いて欲しかった」というのを会談後に通訳さん本人に伝えたそうなのですが、とても考えさせられるエピソードでした。
今でも私の中では、通訳が机を叩くことは感情移入とも取れる行為(通訳に感情は不要とするクライアントさんも少なくない)なので、自分には机が叩けない気がします。
会社の人にこの話をしたら、もし一緒に叩いてくれたら、少なくとも通訳に対してイヤとは思わないとは言ってもらえましたが、実際はどうなんでしょう?
使ってくれる人とのコミュニケーションがしっかりしていれば問題ないのかな?
語学力があっても訳せないものがある
最後に通訳からの悲痛な叫びをお伝えしましょう。
私も勉強不足ですが、これはさすがに対応できないっていう分野がどうしても存在します。
それは、日本語ならではのダジャレや言い回し、日本に生活している人でないと理解できないようなあるあるネタなどです。
流行りネタ、芸能ニュース、お笑いネタはどれもしんどいですね。
特にお笑いネタは私にとってはかなりトラウマなカテゴリーで、まず訳せないし、日本人と中国人は笑いのツボが根本的に違うので、一生懸命訳しても、相手が大笑いすることはありません。
インターネット技術発展のおかげで、今では中国で日本のTV番組を見ることもできますし、旬の流行りものをGetすることも可能で、一部の中国人は確かに私よりも日本通な人がいるのですが、日本のことを知っている人となら盛り上がりそうな話でも、訳すことで全く面白みがなくなったり、逆に場が白けたりすることが往々にしてあるので、特に宴会の場では笑いの持って行き方に工夫が必要かと思います。
例えば、50~60代の中国人の頭の中は、栗原小巻など高度成長期のスターや三浦友和&山口百恵の赤いシリーズを見たことがある人が多いので、そのあたりの話をすると場が盛り上がるかも知れません。
また、30~40代前半くらいだとアニメをきっかけに日本に興味を持った人が少なくないので、いくつかアニメのタイトルや主人公の名前を出して相手の反応を見ると良いでしょう。
但し、通訳がそのドラマやアニメを知らないと、とんでもなく話が盛り上がらなくなるので、フリーランスの通訳にお願いする場合は、メインの打ち合わせと共に軽い世間話をすると通訳の人となりが解って良いかも知れません。
私はかつて、自分が見たこともない赤いシリーズの話で日中の代表者同士が盛り上がってしまい、マニアックなワンシーンの話をされて撃沈したことがあります。
訳すのはしどろもどろだし、中国側から日本人なのに見たことがないのか!と呆れられる始末。
急に「真由美」とか言われても知らんわ!!と思いながら通訳をした苦い経験があります。
通訳はこんなことも知らないとやっていけないのかというのを思い知った出来事です。
ところで今の10代20代の若い子たちが通訳を介して交流するとしたら、どんなことが共通の話題で盛り上がるのでしょうか?私がほとんど接する機会のない年代なので、想像がつきません。
それよりも、今の子は通訳を介さずにスマホでちょちょいのチョイ!ってやってしまうんですかね?それも時代の流れですけど。
以上、話者と通訳のウィンウィンについて考えてみました。
是非とも、通訳の能力や人柄をよく理解して、より円滑なコミュニケーションツールとして活用してくださいね。