時代は変われど中国の「本質」は何も変わっていないことが垣間見える映画

さくらの独り言

 

こんにちは、しゃんはいさくらです。

 

今日はちょっと前に観て是非とも当ブログで取り上げたいと思っていた映画「茶館」を紹介します。

 

中国の政治的な話、体制の話に興味がある方はきっといろんなことを感じて頂ける映画だと思います。

 

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『茶館』

映画の原作は老舎が1956年に執筆した『茶館』です。

北京にある1軒の茶館を中心に、茶館に訪れるいろんな階層、身分の来客を通じて、清朝末期から新中国誕生までの様子をリアルに描いています。

物語は三部構成になっていて、一部は清朝末期、二部は中華民国誕生から抗日戦争まで、三部は抗日戦争終了後から新中国誕生までに分かれて物語が進んでいきます。

 

大まかな登場人物を紹介すると、

茶館の主人:王利発(茶館の開業、発展、転換、衰退を見届ける。映画は彼の意味ありなシーンで締めくくらる)

茶館の常連①:常四爺(ある事が原因で監獄に入れられ、後に農民として貧しい生活を余儀なくされる)

茶館の常連②:松二爺(常四爺のお茶仲間、鳥籠を持って茶館に来る常連)

茶館の大家:秦中義(態度が横柄で言うことが大きい。事業を興すことが国を興すこととの想いを持っている)

男2人組:宋恩子、呉祥子(自分の利益の為なら人を陥れることも厭わない2人)

あたりを押さえておくと映画が観やすいと思います。

 

また、映画のセリフがそのまま読める書籍があるので、より深く理解したい方は本を参考にしながら観るのも良いと思います。

私は通訳を職業としているのでそれなりの中国語力がありますが、それでもいきなり物語を理解するのはちょっとしんどいと感じました。

 

『茶館』に描かれている世界や物語の中身をしっかりと消化するには、中国近代史の大まか流れや旧宮廷に対する理解があるともっと良いです。

  

第一部

茶館は毎日お客さんが絶えず、店主の王利発はお客さん対応に忙しくしています。

ある日、茶館内に「莫談国事(政治を語らずべからず)」との貼紙が貼ってあるにも関わらず、常連客である常四爺が国事に関わる発言をし、居合わせていた「特殊任務」中の宋恩子と呉祥子の耳に入り、捕らえられてしまいます。

 

その他、茶館には貧しくて物乞いする親子、娘を売る売らないで身を切る思いの父親、高齢の元宦官に嫁がされる娘などが訪れ、当時の貧富の差や細かな状況がありありと描かれています。

 

第二部

民国時代になり、茶館にはやや陰りが見え始めます。

世の中は軍閥混乱期にあり、市民は飢え、不条理な物事が耐えません。

 

そんな中でも王利発は茶館の一部を下宿部屋として学生に貸すことで一定の収入が確保できるように奮闘しますが、相変わらず悪巧みを繰り返す宋恩子、呉祥子の目に付いて、いろんな言いがかりを付けられます。

 

第二部では、第一部で高齢の宦官に嫁がされた娘が子どもを連れて宮廷を逃げ出して茶館にやってきます。

宦官なので子どもは父方との血の繋がりがありません。

 

第一部同様に各人物の身辺を細かく設定して当時の様子を巧みに描いています。

時代背景が解らないとこうした細かい設定を見逃してしまうかも知れません。

  

第三部

抗日戦争が終わり、ますます混乱を極めた様子が描かれています。

物語の最後の方では、年老いた王利発、常四爺、秦中義が茶館に集まり、自分のこれまでの人生を嘆きます。(この時松二爺は既に他界)

 

国事に関するたった一言が原因で人生を大きく狂わされた常四爺、資本家として事業を成し遂げるも混乱期に国民党政府に工場を没収されてしまう秦仲義、そして茶館を維持する為に情勢に合わせていろいろと奮闘したにも関わらず、最後には茶館を奪われてしまう王利発。

自分が死んでも葬式をあげてくれる人などいないと言って、3人で生前葬の如く自分たちに紙銭を降らし始めます。

 

善良な市民として生きていても、時代や大きな勢力に翻弄されてしまう市民のやるせなさが細やかに表現されていて、人生って何だろうと考えさせられます。

    

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『茶館』を観て

『茶館』を観終わって旦那と目を合わせた瞬間、私たちの口から出てきた言葉は

「中国って今も昔も全然変わらないんだね」

でした。

 

この映画を観たのはちょうど上海のロックダウン期間中で、まさに政府に翻弄されている最中だったので余計にそう感じたんだと思いますが、登場人物の置かれた背景や細かな描写を見ていると、「あー、今もあるわ、こんなの!」と思える情景がいくつも出てくるのです。

このお話が清朝、民国、新中国誕生という激動の時代を背景に描かれてるのにも関わらず、共産党政権になって70年以上たった今と構造的には何も変わっていないことに気づいてしまうのです。。。

 

現共産党政権は、清朝や国民党政府(中華民国)と自分たちは全く違うことを建前にしていて、教科書なんかを見ても、清朝や民国は腐敗が蔓延り、滅びる運命にあったっぽい書き方がされてるんですけども、私から見ると、何政権であっても根本や本質が違うようには思えないんですよね。。。

 

メディア情報などで現中国の共産党政権のことを「一党独裁」と書いてあるのを目にしますが、思えば中国は歴史上ずっと王朝のトップが政治を取り仕切るスタイルでやってきたワケで、言わば筋金入りの独裁体制で今まで来ています。

なので、私はたかが首長が変わった、政権が変わっただけで、根本的な構造が変わることはないんじゃないかと思ってます。

 

 

まもなく党の大会を控え、私が勤める会社では「赤」の雰囲気が強くなって来ました。

最近の中国人リーダーの話を聞いていると、党大会が穏便に済ませられるように、安定操業や安全に関する指示が増えている気がします。

 

それだけ今は敏感な時期を迎えているということですね。

 

ちょっと話が逸れましたが、政治に絡む発言がしにくいこの国において『茶館』のような作品を通じて世に問題意識を投げかけることはとても大事なことだと思っていて、そういう意味でいろんな人に読んでみて頂きたいと思い、当ブログで取り上げました。

 

うまく締められませんが、この記事が中国の一面を深く知って頂くきっかけになれば幸いです。

では!

 

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